一般向けにはもっとカンタンなモノを?

http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2005/08/post_214.html

上記『「一般向けにはもっとカンタンなモノを」のそのウソホント?』記事を拝見して。

それって面白いねぇ。でも普通の人は ワカンナイ よ。
普通の人向けには、もっとカンタンで判り易いものじゃないと。
 
私は最近、こうした考え方は実に危険だ、と考えるようになりました。
既に製品・サービスを使いこなしている側の人間から見た、「普通の人」像は、何かがおかしいのです。
 
「自分は難しい製品・サービスを使えるけど、普通の人には難しすぎて使えない。」
それが「10年ひと昔」というひと言でで あっさりとひっくり返る のですから、
「カンタン至上主義」 が正しいと信じて「普通の人でも使えるようなやさしいモノ」
をひたすらに目指していた人にとっては、泣くに泣けない状況でしょう。

そういえば実家のほうの友達が、「オレがiPod買ったら、回りが一気にiPod買ってさぁ」みたいなことを言ってました。彼は自身の所属するコミュニティの中では所謂「アルファ」的なヤツで、大抵最初に何かしら便利なものを見つけては、周囲の「普通の人」に伝播するようなことをよくやってます。

多分HDDオーディオプレイヤーだの、ネットショッピングだの何だのが「普通の人」にも使われるようになってきたのは、上記記事の言うような「ユーザーの進歩」みたいなものではなく、単純に「自分の周りに使ってる人がいて」「使ってる様子が便利そうだった/便利だっていう話を聞いたから」「困った時はその使ってる人に聞けばいいし」「じゃあ自分も使ってみたい」みたいなノリなんじゃないかな。
つまり、「教えてくれる人がいれば使う」という。

物凄い偏見かもしれませんが、いわゆる「普通の人」は基本的に面倒くさがりで自分から苦労してモノだとかサービスの使い方だとか「よさ」を理解しようとする、みたいなことをしません。だから友達が使ってるとか、よく読んでる雑誌で特集されてたとか、そういうきっかけがなければ何かに手を出したりしません。

最近のモノやサービスは、分かり易さが利益に繋がるということをよく知っているので、過剰なまでに気遣いされてるものも多いです。よっぽど能力的に問題がない限りは、使い方の基本くらいは「教えてもらえれば」分かる場合が多い。

でも、その「教えてもらった」段階で、「ああ、アタシにはわかんないや」と思わせたらそれ以上広まりません。そういう意味では「ある一定以上カンタンである」ということは今でも有効だと思います。

ああ、そういう意味では「招待者」という「教えてくれる人がいる」ということが保証されているmixiの仕組みなんていうのは、ウマいやり方だったりするのかも。