携帯電話というデバイス

よく読ませて頂いているblog、Whiteboardさんの「携帯言語と据え置き言語」という記事を拝見して。

わたしはパソコンに送られたメールも携帯で読むことが出来るように設定しています。

そうするとどういう事が起きるかというと携帯で最初読んだ時に「なにか文章的に気に触るなあ」と感じてしまったメールを事務所の大きな画面上で読み直すと「それほど変なこと書いていなかった」と妙に安心というかほっとしたりすることがあります。人はあまり悪く思いたくないですから。

それはきっと「画面の大きさ」と文字が書かれている範囲のまわりに余白があるかどうかによって読む側のこころの余裕に差が生まれるからではないかと思っています。

この内容にアンテナがビビっときました。

携帯電話とPCのメールというものは、互いに「メール」であるという点は同じなんですが、なにか「文化」が違うような、そんな印象を受けます。

上の記事とは全く逆のパターンですが、自分の場合は「携帯からのメールをPC受け取った時に」嫌な気分になることがあります。
整形用の改行もなく、いきなり一行目にずらりと文章が並んでいて、署名も何もなく突然文章が終わる。しかも短い。そんなものを見ると、何か「幼さ」みたいなものを見たような心地になるのです。(内容がどれだけスマートであっても/相手がどんな人であっても)
また、仕事の関係で、Webサイトの制作と同時にオンラインショップのユーザサポートめいたこともやっているのですが、「自分の名前を名乗らない」だとか「何を求めているのか把握しづらい」だとか、「礼儀というものを微塵もわきまえていない」とかいった、「これってどうよ?」と思うようなメールは、携帯電話から届いている場合がかなり多い。
でもそんなメールも、携帯電話で受信していたら、もう少し「呆れ感」が少ないのかもしれない。

携帯電話は

  • 文字打ちしにくい
  • 一画面に表示できる文字数に限りがあるので、長い文章は一覧性が悪いし、閲覧にスクロールという操作の手間がいる
  • 文字が端から端までびっちり詰まっていて、行間も狭く、お世辞にも読みやすい、とは言えない

とかいった事情もあって、どうしてもあまり長い文章は「書こう」とも「読もう」とも思えない。だから、宛名だとか署名だとかちょっとした挨拶だとかいったものは省かれることになりがちです。

また、個人的にはあの独特の丸っこいフォント(機種にもよりますが)が、何となく人を小馬鹿にしているように見えることがあります。(だからか知らないけど携帯でメールを打っていると、必要以上に何か悪ふざけをしたくなる)

自分で思っている以上に、使う道具だとか環境というものは、心理的に影響を与えてるんだろうな…。

…きっと携帯のメールとPCのメールは「異文化」なので、「間に入って'翻訳'してくれる人」が必要なんでしょうね。
例えば携帯からPCに送るときには宛名と署名と整形用の改行を自動で入れてくれて、PCから携帯に送る時には整形用の改行や必要以上の宛名や署名を消しておいてくれる。そんな仕組みもあったらいいのかもしれません。