音楽産業は結局のところサービス業か

コンテンツに付随する価値http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1914

を拝見して。AmazoniTunes storeをあくまで「手間を省くサービス」とする見方はなるほどと思った。というかまさしく自分がそういう理由でAmazoniTunesを利用しているわけだし。

この視点でもって、たとえば「ミリオンセラー」なんかも同じ理屈で分析することもできるのかも。

レコード会社がアーティストを発掘し、戦略を立て、タイアップやメディア戦略などによって大々的に広める。それは「これを買えば友達と盛り上がれますよ」という音楽を、大々的な広報と合わせて「作り上げ」「提案する」ことで、ユーザの取捨選択の手間を最小化し、コミュニケーションを活性化させる、そういう「サービス」だ、という見方もできる。
#当時レコード会社や各種メディアがなかったとしたら、一体どうやって音楽を探して友達や同僚と盛り上がることができただろう?

もしかして、音楽産業というのは、音楽を媒介にしてそういうみんなでわいわい楽しめる場・状況を作り出すサービス、だったのではないか。

で、そういった「サービス」を機能させる上では、舞台装置としてテレビなどを中心とした「みんながみているメディア」が重要な役割を果たしていた。情報量を絞って、関心を集中させることで「サービス」の質をより一層高める事ができていた。

ところがインターネットの登場によって、リスナーの接触できる情報が増えると、関心を限られた場所にとどめることが難しくなる。すると「みんながみているメディア」という舞台装置を維持できなくなり、「サービス」の質が悪化し、サービスの価値も下がる。

……っていう考え方は、わりとしっくりくる気がする。

じゃあどうするか、といったら結局サービスの質をどうやって高めるかを考えるしかない。状況が変わった以上、これまで音楽産業が産み出していた価値が一体何だったのかをもう一度考え直して、そこからサービスを再設計する必要があると思うし、音楽を媒介として「最小限の手間で最大限に面白い状況を提供する」ために何ができるかを考えてみる必要がある。多分、参考にできるものなんていくらでもある。っていうか全てのサービス産業に何かしら参考になるところがあるはず。

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…こういう考えかたしてると、確かに「コンテンツ自身」にどこまで価値があるか、というのはよく分からなくなってくる。
でも自分はコンテンツ自体の価値がゼロ、ということはなく、やはりコンテンツ自身のもつ価値の多寡はあると思ってる。
ただしその「価値」は、「どれだけウケるか」「どれだけ話題にしやすい要素を持っているか」とかいったあたりを基準に定まるものなんだろうと思う。なので、時代や流行によって価値は激しく変動するし、いわゆる「質」とは必ずしも相関しない。というか、コアなリスナーが求める「歌がうまい」とか「演奏の質が高い」とかいったあれこれの「質」も、結局はウケるポイントの一つ、でしかなくて、それは「価値」を構成する要素のひとつだけど、すべてではないのだろう、と思ったりした。